♯001 変わり行く街の変わらない良心、武蔵小山。
『東京のしゃれた町並みづくり推進条例』という、ちっとも洒落てない東京都の条例によって瞬く間に廃墟に変わった「武蔵小山飲食街」、かつてはキャバレー、バー、スナックなどが200店近く立ち並ぶ歓楽街だった。フランス語で「小径」を意味する「りゅえる」と名付けられた夢の砦は、もうすっかり更地になってしまったが、どっこいグルメランキング上位には載らない真の名店たちは元気に営業を続けている。この街で生き残って行くことは、凡百の東京の街とは一線を画した至難の業。どれも、しっかり実力店揃い、それにはしっかりとした理由がある。
最盛期には120人を越える芸妓を擁したお隣の西小山三業地、膨大な家内制手工業の工場や、多くの職人たちが暮らした街、武蔵小山。当然、安くて旨くなくては人は集まらない。現在も続くムサコのシンボル『牛太郎』はその中心的存在だ。現在、東京中の盛り場を席巻する勢いで増殖する『晩杯屋』も、「りゅえる」の外れの小さな立ち飲みから始まった。東洋一と呼ばれた巨大アーケード「パルム商店街」も、未だに1つのシャッター店舗さえない街。この街だからこそ出会える、ほとんど奇跡のような名店たちを紹介しよう。
17時の開店から満席となる奇跡の割烹居酒屋。
たとえば初夏の頃、1年待ったお楽しみ「新子」の握りを食べに行くとしよう。しかし、呑んべいたるもの、酒もそこそこ飲みたい。しかし、握られた鮨を目の前にしてぐだぐたと酒を飲むのは野暮極まりない。かと言って、軽く刺身を引いてもらって燗酒を嗜み、それから鮨というフルコースを踏んでいたら、かなりの出費を覚悟しなければならない。そこは庶民のパラダイス、リーズナブルにも程がある武蔵小山の独壇場だ。こちら外観は小粋な割烹、高級そうなアプローチだ。
5時の開店と同時にほぼ御常連で満席になる店内は、清潔で至る所にまで神経が行き届いている。でも、きちんとテレビの画面は放映中で客に緊張感を強制しない。ダンディな元鮨職人のご主人と、見目麗しく凛とした奥さん。極上の和食と2人の気風に触れるため、毎晩たくさんの客が訪れる。ご主人の腕と店の雰囲気からは想像もつかないほどお得なアテは、どれも500円内外。それでいて、「いわし」を頼むと胡瓜と大葉を添えて海苔で巻いたりと、一つひとつに仕事が施されている。
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